A社の佐伯さんがのらりくらりと

A社の佐伯さんがのらりくらりと。インターネットと少しだけ生活のこと。

親を尊大に思うタイミングについて

世間はクリスマス。

イルミネーションが所狭しと輝くこの時期になんとなく、家族のことを書きたくなった。


僕は母が好きだ。

冷静に客観視してもそうだと思う。好きというより、尊敬している。この人に時間を使いたい、そう思う数少ない人である。こう書くと、まごうことなきマザコンである。しかし僕は思う。人は誰しも「親は偉大だ」と感じるタイミングがあるのではないかと。僕の場合はそれが明確に有る。3年前のことだ。

 

 


 

それまでどちらかといえば、母は何かと鼻につく存在だった。まず第一にうるさい。あの元気さは高校生のころのナイーブな時期には大敵だった。そして次に気分屋である。なにかと「こうあるべき」論が強く、考えを変えることは大地がひっくり返ってもなかった。年を取り、ある程度勉強もできていた僕はそんな母をすこし見下していた。

 

 

「なんでそんな考えっちゃろうか」

そのころの自分は親がつくってくれた環境の中で、それらすべてをあたかも自分が手にしたものだと錯覚していた。今の自分があるのは、自分がちゃんと勉強したからだ。ぼくは「こんな」親にはならない、と。


話が前後するが、実家には17歳になる犬がいた。ルークという名前だった。母はルークを僕ら以上に可愛がった。僕らももちろんルークが大好きだったが、一番ルークと長い時間を過ごしたのは母だった。毎日散歩に連れて行き、餌も毎日作っていた。基本的に面倒見のいいひとなのだ。ルークはそんな母の愛情に応えるように、17年も立派に生きてくれた。


そんなルークも亡くなった。12月で3回忌になる。その時僕は大学生だった。同じ県だが実家からは遠く離れた場所で一人暮らしをしていた。その頃の僕は就職活動で大阪や東京を行ったり来たりしていた。ルークがもう長くないことは知っていたが、「正月に帰れば良かろ」くらいに考えていた。だから電話で死を知った時は呆然とした。


最初に考えたのは、ルークとの思い出でも、最後を見送れなかった悔しさでもなく、母のことだった。僕でこそこんなに悲しいのに、一番ルークと同じ時間を過ごした母は想像できないほど苦しんでいるはずだ。心配だった。支えてあげたかった。だから(力になれるかわからないけれど)週に2,3度は電話するように心がけた。リアルに安否確認も兼ねていたと思う。自殺しかねない、本気でそう思っていた。


しかし、電話の中での母は「就活は大丈夫か、栄養あるもの食べているか」と僕の心配ばかり。電話を切ると元気づけられてるのはいつも僕だった。その時になんだか、ふと気づいた。ああ、母はずっとこうだった。いつも自分よりも目の前の誰かのことを面倒見てしまうのだ。僕はそんな母に生かされていた。そんな当たり前のことに21の時にやっと気づいた。その時は涙が止まらなかった。


それからは、そんなに頻繁ではないけれど、時間があれば母に電話するように意識している。どこかで聞いた話だけど、親と過ごせる時間は、ひとり暮らしになると、実質あと半年も無いらしい。その時間を大切にしたい。親のことを考えるタイミングは人それぞれだが、僕はそのときだった。


まだ24,5年しか生きてはいないが、その中でも「こんな大人になりたい」と思える出会いがいくつかあった。とてもありがたいことだ。でもなんだかんだ、なりたい人間像は、母なのかもしれない。自分も大切に、そしてそれ以上に、目の前のひとを大切に。なんだかキラキラしたエントリーになってしまったが、そんなことを思った初冬だった。