誠実な人って常に「自分は誠実じゃない」って思っている人だと思う
タイトルの通り。
よく「事故を起こさない人は、いつか自分は必ず事故を起こす、と常に自分を疑っている」と言われるがその原理と一緒だ。
本当に誠実なひとなんて存在しないんじゃないか
誠実とは
( 名 ・形動 ) [文] ナリ
偽りがなく、まじめなこと。真心が感じられるさま。 ↔ 不誠実 「 -な人柄」 「 -な対応」[派生] -さ ( 名 )
・偽りがない
・真面目
・真心が感じられる
これらほとんどが相手からの視点だ。自分でコントロールできるとすれば、偽りがない位だが、偽りが無くとも相手が真心を感じなければ、それは誠実とは言えない。相手に依存するものである以上100%誠実でいることなど不可能だ。「僕は誠実だ」と抜かす人間はそいつを誠実だと思った数%以外の大多数の人間を認識すら出来ていない。今日誠実だった奴が明日誠実とは限らない。アイツに誠実だった奴がコイツに誠実とは限らない。
でも誠実な人間に近づけることは出来る
僕が思う誠実な人間は
・今の自分が出来ることを
・無理がない状態で
・100%他者に行える
人間だと思う。
そのためにいつも自分を疑っていないと、今本当に相手に出来ることなどみつからないと思う。無理がない状態で、と入れた理由は、自分が無理をする状況は誠実とは言えないような気がするからだ。度が過ぎるとそれは押し付けになってしまう。結局は物事はバランスなので一言では語れないのが常だ。しかし大事なのは「今の自分は本当に誠実か?」と疑うことだ。そうすることで誠実な人にはなれずとも、それに近づくことが出来ると思う。
ドキュメンタルという番組で松本人志が「世界一おもしろい人って面白くないんですよね」と言っていた。なんとなくそれに近くて、「他者の解釈に依存するものは自分でコントロールすることは不可能なのですが、それに近づけて行くことで自然とそうなっていくんじゃないですかね」ということでした。
まあ、一番言いたいのはドキュメンタルはとても面白いということです。