スルースキルが無いのはあなたが暇だからだ
釣りタイトルです。
だけど割りと本気で思っています。じゃあ釣りタイトルじゃないですね。あっ。
スルースキルとは、和製英語で無視、聞き流すことが出来る力(スキル)で嫌なことを無かったことにする力とのこと。今話題の能力らしいですね。スルーすることは、しばしば「逃げている」や「都合の悪いことから目を背けている」と捉えられ、良くないこととみなされます。だけど本当にそうなのでしょうか。
嫌なことと向き合うことってそんなに大事なの?
僕は最近、スルースキルがないひとの方が自分の身を案じたほうがよいのではと思うようになりました。もちろん物事がうまくいかなかったり、第三者からなにか言われたりすると落ち込みます。人間ですから、当たり前です。
僕が思ったのは、それってそんなに大事?ってことです。
生きていれば自分の思い通りにならないことが次々に降りかかってきます。
- 自分は悪くないのに理不尽なことで上司に怒られた...
- Twitterで第三者から不快なリプが来た...
- 朝電車が遅れたせいで一日気分最悪...
そのひとつひとつに怒ったり、悩んだりすることってそんなにするべきことなんかな、と。一般的にはそこで何かと向き合って、それを克服してまた一つ成長する、というのが美だと捉えられていると思います。僕も今までそう思ってきたし、それもまた間違いではないと思っています。
落ち込むことが、免罪符になる瞬間
これは実感ベースなのですが、落ち込んだり、怒ったりしている時間って、何もしなくていいじゃないですか。例えば怒られているときだったら「今は怒られたことに落ち込んでいる」っていう大義名分が使えるから。
その瞬間って落ち込んではいるんですけど、なんか楽なんですよね。思考を停止していいっていうか、だらけていいよって言われているみたいで。ある時点を過ぎて「悩みすぎ」るとこういった境地になるっていう感覚、皆様も経験があるのではないでしょうか。
んで、そういう状態になった時のことを今になって振り返ってみると、ぶっちゃけ何も得るものは無かったわけです。その時はすっごい重要なことのように思えていたのに。不思議ですよね、今となってはクソほども自分の身になっていなかった。
自分の人生に他の誰かを入れ過ぎない
自分に向けられる色んなものをすべて受け入れて、すべてと向き合って、すべてに真剣に悩んでいたら、とてもじゃないけど時間が足りません。人の意見を受け入れることはとっても、とっても重要だけど、そのせいで「120%の勢いでスルーをかますことの大切さ」が忘れられているんじゃないのかな、とも思うのです。
積極的にスルーしようよ!
例えば何か言われたことに憤慨しているときは「なんでこいつはこうなんだ!許せない」ってことに時間を使っていれば、何かいい事をしている気になれるけど、本当にそれってすべきことなのだろうか?と。
偉い人が何度も言っています。時間は有限だと。んでもって、どうでもいい人や事に時間を使うということは、時間を奪われていることと同義です。財布から毎日500円抜かれているようなものです。地味にキツイでしょう。500円あればコンビニに売ってあるあのおいしそうなクリームとフルーツが挟んであるサンドイッチを2個買うことができます。
これ(食べたこと無いけどおいしそう)
だけど悲しいかな、あれは時間の無駄だったってことは後になって分かることが多いのです。なので都合の悪いことは徹底的にスルーしていきましょう。
今日はこのへんで。おやすみなさい〜
僕は今朝遅刻してやむを得ず使ったタクシー代が忘れられません...スルー力ェ...