A社の佐伯さんがのらりくらりと

A社の佐伯さんがのらりくらりと。インターネットと少しだけ生活のこと。

Twitterに何を求めているのか分からなくなった

雑記です。自分でも引くぐらい落ちがない。

 

私は朝起きてから、ご飯を食べる間、仕事が一息ついたとき、信号待ちをしている時にすらTwitterを開く。長い時は数分だが、短い時は5秒ほどしか開いていない。もちろん内容なんて次の瞬間には忘れてる。

 

私はうすうす気がついている。コレって無駄な時間なのではないかと。

僕が25年生きてきて一番無駄だった時間が「高田馬場バイトが決まったんだけど、交通費がかかるから新宿で探そうと思っている」という話を聞いている時間だったのだけど、冷静に考えるとTwitterもそれと変わらないのでは、と最近は感じている。

 

や、別に無駄な時間を過ごすことに対して批判的な立場を取っているわけではない。効率ばかりが大切ではないと思っているし、無駄(に見えること)を楽しむことが以外に重要だという価値観も備えているつもりだ。

 

それを踏まえたうえで、なぜTwitterに時間を費やしているのだろう、と思うのである。あのどうやって飛んでいるかもわからない鳥になにを求めているのだろうと。

 

つまらない原因ははっきりしている。繋がる行為が面倒だからだ。

インターネットのすべてのサービスは人が何かと繋がる為にできている。もちろんTwitterを通して簡単に誰かとつながりをもつことが出来る。私はいつしかそれが億劫になっていったのだ。

今はだれともわからない人の何ともわからないような日常をだらだらと見ている感覚だ。まるでテレビを見ているように。なので興味もわかない。

貧困国で4秒に1人子供が死んでようが対して現実味がなくて心が動かないのと同じである(これは私だけかもしれない)

繋がっていない誰かの日常は現実でない。仮想現実と一緒なのだ。しかし繋がる気がない。しかし今日もタイムラインを眺めるのだろう。