世間はクリスマス。
イルミネーションが所狭しと輝くこの時期になんとなく、家族のことを書きたくなった。
釣りタイトルです。
だけど割りと本気で思っています。じゃあ釣りタイトルじゃないですね。あっ。
スルースキルとは、和製英語で無視、聞き流すことが出来る力(スキル)で嫌なことを無かったことにする力とのこと。今話題の能力らしいですね。スルーすることは、しばしば「逃げている」や「都合の悪いことから目を背けている」と捉えられ、良くないこととみなされます。だけど本当にそうなのでしょうか。
僕は最近、スルースキルがないひとの方が自分の身を案じたほうがよいのではと思うようになりました。もちろん物事がうまくいかなかったり、第三者からなにか言われたりすると落ち込みます。人間ですから、当たり前です。
僕が思ったのは、それってそんなに大事?ってことです。
生きていれば自分の思い通りにならないことが次々に降りかかってきます。
そのひとつひとつに怒ったり、悩んだりすることってそんなにするべきことなんかな、と。一般的にはそこで何かと向き合って、それを克服してまた一つ成長する、というのが美だと捉えられていると思います。僕も今までそう思ってきたし、それもまた間違いではないと思っています。
これは実感ベースなのですが、落ち込んだり、怒ったりしている時間って、何もしなくていいじゃないですか。例えば怒られているときだったら「今は怒られたことに落ち込んでいる」っていう大義名分が使えるから。
その瞬間って落ち込んではいるんですけど、なんか楽なんですよね。思考を停止していいっていうか、だらけていいよって言われているみたいで。ある時点を過ぎて「悩みすぎ」るとこういった境地になるっていう感覚、皆様も経験があるのではないでしょうか。
んで、そういう状態になった時のことを今になって振り返ってみると、ぶっちゃけ何も得るものは無かったわけです。その時はすっごい重要なことのように思えていたのに。不思議ですよね、今となってはクソほども自分の身になっていなかった。
自分に向けられる色んなものをすべて受け入れて、すべてと向き合って、すべてに真剣に悩んでいたら、とてもじゃないけど時間が足りません。人の意見を受け入れることはとっても、とっても重要だけど、そのせいで「120%の勢いでスルーをかますことの大切さ」が忘れられているんじゃないのかな、とも思うのです。
積極的にスルーしようよ!
例えば何か言われたことに憤慨しているときは「なんでこいつはこうなんだ!許せない」ってことに時間を使っていれば、何かいい事をしている気になれるけど、本当にそれってすべきことなのだろうか?と。
偉い人が何度も言っています。時間は有限だと。んでもって、どうでもいい人や事に時間を使うということは、時間を奪われていることと同義です。財布から毎日500円抜かれているようなものです。地味にキツイでしょう。500円あればコンビニに売ってあるあのおいしそうなクリームとフルーツが挟んであるサンドイッチを2個買うことができます。
これ(食べたこと無いけどおいしそう)
だけど悲しいかな、あれは時間の無駄だったってことは後になって分かることが多いのです。なので都合の悪いことは徹底的にスルーしていきましょう。
今日はこのへんで。おやすみなさい〜
僕は今朝遅刻してやむを得ず使ったタクシー代が忘れられません...スルー力ェ...
釣りタイトルですね。こんばんは佐伯です。
思わぬエラーの戒めに、そのエラーを詳しくまとめてみました。
本当のカスは私ですね、すみません。
今回のエラーはreturn文忘れです。
ううう、書いてて恥ずかしくなってきた。
return文で出される値は戻り値と呼ばれます。
戻り値ってなんやねん...なんでいるねん....どこに戻んねん...
そんな僕のようなプログラミング初心者に向けて解説していきたいなと思います。
わかりやすく、例を挙げましょう。
猫のたまちゃんは、どこからか泥を持ってくることができます。
女の子のちよちゃんは、その泥をお金に変えることができます。
犯罪の匂い?しませんしません。
コードで書くとこんな感じですね
//①
function makemoney(引数){ たまちゃんが泥をちよちゃんに渡す; ちよちゃんが泥を受け取る;
ちよちゃんがそれをお金に変える; return 式; }
//② $wallet = makemoney(doro30kg);
①ではmakemoneyという関数を使っています。
関数(=function)とは、引数と呼ばれるデータを受け取り、決められた動作をした後に結果を返す一連の命令群のことを言います。それで返された値が、冒頭でも出た戻り値(返り値)と呼ばれるものです。
先ほどの猫と女の子の例でいうと、以下のようになります。
関数であるmakemoneyはお金を作るための式です。
お金を作るための式なので、目的である最終的な結果物、つまりお金を出さないと式として成り立ちません。なので関数の最後には return $money などを用いて、最終的な結果を吐き出させないといけないんですね。
「過程はいいんだよ、とにかく金を出せ金を」ということですね。
世知辛いです。
また、この場合最初の泥が引数だったりします。引数とは関数に最初に渡されるデータのことです。ちよちゃんは、泥の種類や量によって、作れるお金の種類や量が異なります。最終的な返り値(=お金)は最初の引数に左右されるのです。
また②のように関数 makemoneyに引数を入れた結果物を$walletという入れ物に入れておくこともできます。
そうしてまた次の処理をさせることが出来ます。
function EatSteak(ステーキを食べる)だったり...
function DateWitnGirlfriend(女の子と遊ぶ)だったり...
あ、冗談。冗談です。
今日はここまでにします。
また何か学びがあれば、こっちにアウトプットしますね。
ではまた〜。
今日一番の学び:ちよちゃんなんていない
AWAの三ヶ月無料期間がもうすぐ終わりそうです。佐伯です。どうしよう。
みなさん、作業中になにを聴いてますか?
(聴かないひとはおすすめの朝ごはんとか教えて下さい)
僕はそんなに作業するときの音楽にこだわる方では無いのですが、そんな僕でもいつの間にか愛用してしまっている音楽サービスがいくつかあったので、紹介したいと思います。
雨の音などを流してくれるものはありましたが、一緒に音楽も流してくれるサービスは見たことがありませんでした。環境音って集中できるけどイマイチ物足りないなあ、と思っていたので、とても重宝しています。
作業の為だけに作られた、こだわりの作業用BGMサイトらしいですね。
タイマー機能が備わっていて、「一時間だけ集中してやろう」と思った時に使っています。
あと、「MusicEnergyLevel」なるものも設定できます。これは「音楽のテンション」と僕は解釈しているのですが、Low、Middle、Highの3つから曲を選択できます。
Youtube無限リピート系はたくさんありますが、僕はこれを使ってますね。
他のサービスだと、日本のアーティストが引っかからないことがあって。
しかしMusicTonicはそんなことも無く(むしろ関連する音楽が引っかかりすぎる)ストレス無く使わせてもらっています。
自分のBGM系ブックマークを漁っていたら、自分にとってドンピシャかもしれないものを見つけました。UIもシンプルで美しく、ジャンルもある程度豊富です。最初に述べた音楽+環境音機能も普通に備わっています。
ブックマークしているけど存在を忘れること、ありますよね。
悔しい。佐伯悔しい。
Listbandはおすすめの音楽を投稿したり、自分だけのCDアルバムっぽいプレイリストを作れるサービスなのですが、なんか素敵だな〜と思ったのが「その曲に対する気持ちを添えられる」ことです。
タイムラインには
こんな感じでユーザーの好みの音楽と好きになった背景や思い出みたいなものが添えられています。
その人がその曲を好きになった背景なんかがわかると、その曲に対する見方も変わってきますよね。ほんのちょっとの見せ方の工夫なんだろうけれど、音楽とエモーショナルな部分をうまく掛けあわせたサービスだと僕は思います。単純にタイムラインを見ていて楽しいです。
今日はこのへんで。
関係ありませんが最近パスピエをよく聴きます。なつきさんの声が天使。
"OK Google"というフレーズ、なかなか好きです。佐伯です。
インターネットを利用する人ならGoogleを知らない人はもういないはず。
ご存知世界最大級の検索サービスを運営する企業であり、同社が提供するメールや動画、カレンダーは私達の生活の一部にもなっていますよね。
私たちはGoogleから知らず知らずのうちに恩恵を受けていますが、それは同時にGoogleの利益にもなっているのです。
https://www.google.com/settings/u/1/ads/authenticated?hl=ja
こちらのリンクをクリックしてみてください。
あなたの性別、年齢、趣味などが記載されています。
え!個人情報ダタ漏れ?!と思うかもしれませんが、これはあなたの個人情報を抜き取ったわけではありません。これはあなたの閲覧したウェブサイト上での行動から、Googleが仮定したあなたの人物像です。逆に言うと、これを見ればあなたは何に興味、関心を持つユーザーだとGoogleに認識されているかを調べることができます。
実はGoogleの収益源の9割は広告収入です。多くの企業が大量の資金を投入し、みなさんの検索結果や、ブログのすみっこに広告を出しています。規模だけでいえば世界最大の広告代理店は電通でもWPPでもなく、Googleなのかもしれません。
Googleの主な広告手法である検索連動広告やディスプレイ広告はTVCMや新聞広告とは違い、自分の商品に興味を持つ(であろう)ひとに向けてダイレクトにメッセージを発信できます。例えば、今すぐ鍵を修理してほしい人に向けて、近くの鍵の110番の情報を提供したり、英語に興味を持っている人だけに向けて、入会キャンペーンを促したりなど、用途は様々です。
http://www.euronews.com/2014/11/27/eu-recommends-unbundling-google/
じゃあ、その情報ってどうやって取ってきてんの?というと、メールやカレンダー、動画やストレージサービスなど良質なモノを人々に無償で提供することによって、その対価として情報を得ているのです。すごいですね、Google。
と、この前なんとなく知ったことを備忘録としてエントリしてみました。
なんか授業みたいになってますね...笑
他にも「〇〇から半径10キロ以内の地域のひと」とか「このデバイスを使っているひと」みたいな特定も可能みたいですよ。
ただやっぱり驚いたのはその精度ですね。だいたい当たってますもの。もしかしたら人間は小さな違いはあれど大きく何種類かに分類できるのかもしれませんね。今日はこの辺で。
Googleさん、エロ動画でのセグメント分けとかは辞めてくださいn
世間はクリスマス。
イルミネーションが所狭しと輝くこの時期になんとなく、家族のことを書きたくなった。
僕は母が好きだ。
冷静に客観視してもそうだと思う。好きというより、尊敬している。この人に時間を使いたい、そう思う数少ない人である。こう書くと、まごうことなきマザコンである。しかし僕は思う。人は誰しも「親は偉大だ」と感じるタイミングがあるのではないかと。僕の場合はそれが明確に有る。3年前のことだ。
それまでどちらかといえば、母は何かと鼻につく存在だった。まず第一にうるさい。あの元気さは高校生のころのナイーブな時期には大敵だった。そして次に気分屋である。なにかと「こうあるべき」論が強く、考えを変えることは大地がひっくり返ってもなかった。年を取り、ある程度勉強もできていた僕はそんな母をすこし見下していた。
「なんでそんな考えっちゃろうか」
そのころの自分は親がつくってくれた環境の中で、それらすべてをあたかも自分が手にしたものだと錯覚していた。今の自分があるのは、自分がちゃんと勉強したからだ。ぼくは「こんな」親にはならない、と。
話が前後するが、実家には17歳になる犬がいた。ルークという名前だった。母はルークを僕ら以上に可愛がった。僕らももちろんルークが大好きだったが、一番ルークと長い時間を過ごしたのは母だった。毎日散歩に連れて行き、餌も毎日作っていた。基本的に面倒見のいいひとなのだ。ルークはそんな母の愛情に応えるように、17年も立派に生きてくれた。
そんなルークも亡くなった。12月で3回忌になる。その時僕は大学生だった。同じ県だが実家からは遠く離れた場所で一人暮らしをしていた。その頃の僕は就職活動で大阪や東京を行ったり来たりしていた。ルークがもう長くないことは知っていたが、「正月に帰れば良かろ」くらいに考えていた。だから電話で死を知った時は呆然とした。
最初に考えたのは、ルークとの思い出でも、最後を見送れなかった悔しさでもなく、母のことだった。僕でこそこんなに悲しいのに、一番ルークと同じ時間を過ごした母は想像できないほど苦しんでいるはずだ。心配だった。支えてあげたかった。だから(力になれるかわからないけれど)週に2,3度は電話するように心がけた。リアルに安否確認も兼ねていたと思う。自殺しかねない、本気でそう思っていた。
しかし、電話の中での母は「就活は大丈夫か、栄養あるもの食べているか」と僕の心配ばかり。電話を切ると元気づけられてるのはいつも僕だった。その時になんだか、ふと気づいた。ああ、母はずっとこうだった。いつも自分よりも目の前の誰かのことを面倒見てしまうのだ。僕はそんな母に生かされていた。そんな当たり前のことに21の時にやっと気づいた。その時は涙が止まらなかった。
それからは、そんなに頻繁ではないけれど、時間があれば母に電話するように意識している。どこかで聞いた話だけど、親と過ごせる時間は、ひとり暮らしになると、実質あと半年も無いらしい。その時間を大切にしたい。親のことを考えるタイミングは人それぞれだが、僕はそのときだった。
まだ24,5年しか生きてはいないが、その中でも「こんな大人になりたい」と思える出会いがいくつかあった。とてもありがたいことだ。でもなんだかんだ、なりたい人間像は、母なのかもしれない。自分も大切に、そしてそれ以上に、目の前のひとを大切に。なんだかキラキラしたエントリーになってしまったが、そんなことを思った初冬だった。
日本にまた、人々の生活を豊かにしてくれるサービスが誕生しました。
その名も「SUKKIRI」
サービスコンセプトとしては
便所をかりる。 いつでもどこでも、もよおしたら便所が見つかります。 【もよおす】オシッコがしたくなる ・ 便所に行きたくなる ・手洗いにいく ・ 手水にいく。 そう人間はだれもがもよわさないと生きていけない生物なのです。 それがいつでもどこでも、もよおすことが出来る人間の本能にマッチされるために、 このサービス生まれました。
とのこと。
人間誰しもこの手の失敗をしたことがあるのではないでしょうか。
「どんなにつまらない奴でも、うんこの話は2,3個持っている」
とどこかの偉い人が言っていたような気がします。
そう、これこそが世界中の人が抱える市場の負を解決してくれるサービスなのでは無いでしょうか?
もう5年も前の話になりますが、僕の大尊敬する広告業界の怪物、
中村洋基さんが伝説とも言えるエントリーを残しました。
その頃僕は大学生。
これから始まる社会人生活に目を輝かせながら
「どんなにすごいひとでも、出すものは出すんだ」
ととても心が穏やかになったのを覚えています。
その頃、SUKKIRIのようなサービスがあれば、
「テクニカルディレクターと称して、インターネットで面白いバナーやWebサイトを作
ったりしたが、渋谷駅でうんこをもらして、舌を噛み切って死んだ」人を一人でも減らすことができたかも知れません。
さて、そんなSUKKIRIですが
UIとしてはこんな感じ
どうやらユーザー側の機能としては
が挙げられるようです。
個人的には最後の「トイレを評価できる」が秀逸だと感じています。
このUI。
「11でたよ」の幸福そうなデザインにどこか狂気を覚えます。
いずれにせよ、生理現象であるため市場としては計り知れない価値を感じずにはいられません。
私もお腹が危険信号を鳴らしていた時に「近くの家のトイレとか借りられないかなあ」と感じた経験があります。
(まあ、探しているうちに漏れるだろ...)
と思った、そこのあなた。
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世界から、漏らしたパンツを洗う惨めさが消えますように。
敬具